今日も今日とてサンライズ。そして惨敗。なかなか、朝日と対面できない。歯がゆさと往復運賃2USドルを握り締め、 G.Hに戻っていく。今日は、ベンメリアツアーの日。出発は7時半の予定。それまでに朝食と身支度を済ませる。2USドルでお弁当を作ってくれるとのことだったが、僕、それと昨日の夜に出会った九州人ふたり(R君、M君としよう)は朝ご飯をガッツリと食べ、目的地に向かうことにした。朝から、鶏の照り焼き定食、なかなか素敵でしょう。ついでに、パパイヤシェイクも飲んでみたりする。しめて、2.5USドル(2USドルと2000リエル)なり。やっぱり、(日本人の感覚からしてみたら)安い!
さて、ミニバンに乗り込み、ベンメリアツアーの出発だ。今回のツアーでは遺跡を3ヵ所訪れる。”女の砦” の意味を持つバンテアイ・スレイ、”川の源流”の意味を持つクバール・スピアン、そして、”花束の池”の意味を持つベンメリア。これは、まさに今日聞いた話なのだが、ベンメリアは『天空の城ラピュタ』のモデルとなった地と噂されているのだそうだ。もう、ええっ! って言葉が頭を駆け巡った。何となく参加してみようと思い立ったベンメリアツアー、その”何となく”が功を奏した形だ。ホントに、思い立ったらすぐ行動スタイルでこのときばかりは良かったと思える。
ミニバンには運転手を除いて10人乗っている。男5人に女5人。おいおいラブワゴンかよって感じだが、車内の雰囲気は一向にそのような『あいのり』にありがちな方向へ流れない。まず、僕、R君、M君、そしてツアーで初顔合わせをした男性(某飲食店の店長をしているので、以降は店長さん)の4人が前方に座り、ずーっと駄弁っていた。もうひとりの男性は彼女連れ(一昨日であったカップルさん)で、その彼女さんとおしゃべりをしていた。そして、後方の席を陣取った女性4人は彼女らで会話を弾ませていた。きれいに3分割。おかげで、R君、M君とはさらに仲良くなり、店長さんとはいろいろとプライベートな話をすることができた。
まずは、バンテアイ・スレイ。ちなみに、ツアーという名がついているが、実際はただの送迎観光。ガイドもいなけりゃ、ルートもない。ミニバンに戻る時間も、全員集合したとき。結構アバウトなツアーなのだ。とりあえず、近場のまったく関係のないガイド(英語) の声に耳を傾けるがいまいちわからない。そんなときこそ……、『地球の歩き方~アンコール・ワット~』の出番! なになに、東洋のモナリザと称されるデバターが有名というではないか。しかし、見ることは叶わなかった。遺跡保護のためだろうか、ロープが張ってあったから。なかなかの混雑振りにだんだんと辟易し、しまいには掘りの外側の木の下に座り、ぼーっと掘り越しにバンテアイ・スレイの中心部を眺めていた。落ち着く。せかせかと遺跡の各名所をガイド案内に従いつつ見てまわるよりも、こうやって木陰で涼みつつ遺跡を眺める方が、純粋に遺跡の風景が身体に飛び込んでくる、気がする。気付いたら、待ち合わせの時間。ミニバンに向かう。
次に着いたのはクバール・スピアン、地味にトレッキングすることになる。そのトレッキング前にしばしの休息、昼食タイム! 朝食がまだまだ胃に残っているため、何か飲み物を頼むことにする。メニューを見ると……、”Red Bull”を発見。価格は、2000リエル。とてもリーズナブルだ。朝食を共にしたR君とM君、それと店長さんもレッドブルを注文する。レッドブルが思い出に蓄えられていく。
昼食後、トレッキングスタート。クバール・スピアンの由来の通り、渓流地を歩く、いや登る。木陰のおかげで幾分体感温度は低く感じられるが、やはり歩くと汗は出る。そのため、開けた水辺に出るとみな、ホッと一息ついていた。小さな滝のあるところでは、現地の子供がワイヤワイヤ踊るように遊んでいた。その光景を眺める欧米人の図、ちょっとおもしろかった。欧米人さんたちからしてみたら、僕らもそのように映っていたのかもしれないな。この遺跡も予備知識ゼロの状態で訪れたせいか、実は半分くらい見所を逃してしまった。しかし、カンボジアでのトレッキングと水辺の遺跡は、それだけで十分満足感を与えてくれた。水の中の石にどうやって、そして何故彫刻を彫ったのだろうか。シェムリアップからは約50キロメートル離れた、この辺境の地に……。やはり、水の力は特別で、その水の力に神を合わせていたのだろうか。やっぱりわからない! 難しいことを考えるのはやめ、再び元来た道を降りる。片道40分。
悪路は続くよ、どこまでも。いや、本当に悪路。でも、我慢できる悪路だね。酔い止め飲んでこなかったけど、てんで平気だったから。どうやら、ベンミリアに行くには、5USドル必要らしい。なるほど、ベンミリアはアンコール遺跡群パス代金に加えて、さらに金を払って行くだけの価値があるってことか。ふと、ベンミリア通行パスを見てみる。”30038″の数字。どうやら通し番号のようだ。ということはだよ、僕は世界で30038番目にベンミリアを訪れた人間になるってことだ。現在の世界の人口は、約66億3000万人(2007年9月現在)。計算すると、ベンミリアを訪れたのは約22万人にひとりの割合。なんか微妙だぞ……。熊本県の人口が180万人だから、熊本県でベンミリアを訪れたのは約7人。おおっ、これはすごい! 熊本で比較するとすごくわかりやすい。
ベンミリアに着いた。観光客は、僕ら10人のみ。ベンミリア独占。子供たちは、「ポストカード買ってよ」、「Tシャツ買ってよ」と言ってくる様子がまったく見られない。すれていない! これだけで新鮮だった。いよいよ、『天空の城ラピュタ』の面影が(おそらく)感じられるであろうベンミリアへと向かう。
人の手が最小限加わった遺跡、遺跡本来の姿がそのまま残されている場所、アンコール遺跡群の中で初めて時の流れを感じさせてくれた遺跡だった。苔むした石壁が当時を思い出させる。崩壊した建造物はそのまま放置されており、その中を僕らはなかば探検気分で進む。明らかに危ない箇所もあり、絶対に旅行会社のツアーには組み込まれないだろうと思った。いや、下手したら高さ3メートルくらいの石柱から落ちて大惨事になっちゃいますよ。本当の森の中に佇む遺跡で、ただこの場所を遊び場としている子供たちが駆け回っていた。現地の人の目にしか触れていない頃から、ここはみなの遊び場だったんだろうな。遺跡は、現地の人にとってやはり特別な存在なのだと感じた。個人的に、静かに森の中にあるこの遺跡にそっと蓋をすることができたら、と思う。もちろん、そんなことは叶わず、今後大規模な改修工事が行われ、ツアールートのひとつとして確立する遺跡になるだろう。『天空の城ラピュタ』のモチーフになったという謳い文句があれば、人が集まらないわけがない。だからこそ思える、今のベンミリアの姿を見ることができて、本当に良かった。
G.Hに戻る車内でみな眠っていた。だから、何時に帰り着いたのか、あまり記憶にない。とりあえず、今日打ち解けあった3人と夕食を共にし、R君、M君と明日オールド・マーケットに行くこと、明後日自転車でアンコール遺跡群を回ることを約束し、それぞれの寝床に向かった。ベンミリアは、チャンスがあればもう一度行きたい遺跡、アンコール・ワットとはまた違った趣が感じられた。次回はあるのかな……、ネガティブな思考が頭を覆い尽くしてきたので、サクッとシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだ。