京成ローザ10で『それでもボクはやってない』を観てきた

『それでもボクはやってない』。冤罪をテーマとした作品だ。映画館に入ると、タイミングぴったりのギリギリセーフ。密かに買っておいたペットボトルを座席のホルダーに突っ込み、椅子に体をあずける。携帯の電源OFF、背中をひねって筋を伸ばしたところでホールは暗くなる。

さて、ここからは映画の感想をさらりと記してみる。ネタバレは少しありの方向で。当り障りのないことをつらつらと書いてみちゃったりなんかして。

金子徹平(加瀬亮)は痴漢容疑で現行犯逮捕されてしまう。しかし、冤罪である。裁判で無罪を勝ち取るため、無実ということを立証していくのだが……。あらすじ、と言うか導入はこれくらいの知識で十分。映画を観終わって、日本の裁判の実体を『それでもボクはやってない』という再現ドラマを通じて垣間見ることができたように思える。

まず、下手に裁判起こすよりは、前科がついてもいいから示談に持っていったほうが、時間的にも金銭的にも徳だということ。やってもいないことを、「はい、やりました」と言うのには抵抗がある。だが、その一時の理不尽さを我慢することで、難なく元の生活に戻れるのだ。

それでは、裁判に発展した場合、果たして無罪を勝ち取るのはどれほど難しいのだろか。裁判全体でみると、無罪の率は0.01%。限りなく0に近い数字だ。なぜこれほどまでに無罪を手にすることができないのか。それは、無罪を出すことが国家権力にたてつくことに等しいからだ。有罪を出して損をするのは、被告と弁護士であるが、弁護士の場合、負けて当然という風潮が少なからず存在する。だから、負けるのは当然という意識がどこかに根付いている。つまり、損をするのは被告人だけ。一方で無罪を出した場合、損をするのは誰か。それは、警察、検察、そしてそれらのバックに在る国。つまり、裁判官が無罪を出すことは裁判官自信、相当なリスクを背負うことになる。無罪を出したはいいが、高裁、最高裁で判決が覆されると、そこでまた面目が崩れてしまう。もちろん、出世や昇進にも響いてくるだろう。

今回観た映画のように、実際の裁判が展開されているのかはわからない。ただ、限りなくリアルに近いと感じた。周防正行監督が長い年月を費やして、細かに製作していったことからも伺える。最後の最後まで目が離せない。150分弱という結構な長さの映画であるが、体感としては「あれ? もう終わり? ……わ、こんなに時間が経ってる!」である。とりあえず、痴漢において、男性は弱者。疑われる事のない行動を心がけるほかないようだ。

私的お気に入り度: (9.5/10)

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